宮内庁が編集した昭和天皇の日々の記録である『昭和天皇実録』の第9巻は、アメリカ軍の本格的な反攻が始まり、ヨーロッパでは同盟国のイタリア、ドイツが降伏するなどして、次第に追い詰められていくもっとも苦しい時期のものである。戦局が悪化し、臣民が失われ、降伏を決断し、ついに占領政策下に入る、日本と昭和天皇の国難の日々が、淡々とした記述でありながら克明に描かれている。
1945年9月27日、昭和天皇と連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの会見の際、撮影された歴史的な写真についても詳しく知ることができる。その日の朝、御出門された昭和天皇は、赤坂の米国大使館に10時に御到着され、玄関で最高司令官軍事秘書と副官の奉迎を受けられ、その両名の誘引にて次室に入られた。そこで出迎えのマッカーサーと握手、挨拶を交わされ、マッカーサーの案内により御会見室に入られた。御会見室内にて、昭和天皇はマッカーサーの左側にお立ちになり、米軍写真師による写真撮影3枚を受けられた。
その後、御着席になり、約30分に渡って会話をなさったのだが、その通訳を務めた外務省の奥村勝蔵の記録によると、「元帥ハ極メテ自由ナル態度ニテ」冒頭に、「実際写真屋トイフノハ妙ナモノデパチ々々撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン」という、場を和ませる冗談とも皮肉ともとれる感想を述べているのが面白い。それに対して、昭和天皇の御返答は記録されておらず、微笑まれたのか、苦笑されたのか、それとも平然と受け流したのか、そのあたりは分からない。
ご会見の際撮影された3枚のうち、1枚目はマッカーサーが目を閉じており、2枚目は昭和天皇の口が開いていて、結局3枚目が公式の写真となった。この写真が2日後の9月29日に、『朝日新聞』『読売報知』『毎日新聞』に掲載されると、内務省が発売を禁止。すると、GHQがすぐさま同日午前11時30分に、新聞と言論に対する統制実施を無効化し、当該紙の頒布は支障なき旨を新聞社に通告、この写真は新聞を通じて、広まることとなった。翌30日に、昭和天皇は宮内大臣石渡荘太郎に謁を賜い、この事件について、奏上を受けている。そこでの御感想は特に記録されていないが、以前は神格化され厳かに扱われていた自身の肖像写真が、たった1ヶ月ほどで変化した今回の出来事を通じて、大いに時勢を感じられたのではないかと、勝手ながら想像してしまう。2日前にマッカーサーから、「「プレスノ自由」ハ今ヤ世界ノ趨勢トナツテ居ル」と聞かされていたことも思い出されたのではないだろうか。
昭和天皇の肖像をめぐる変化は、実録の記述にも、ところどころ現れる。同年10月26日には、軍服の廃止に伴い、モーニングコートをお召しになった御写真の撮影に臨まれ、さらに12月15日(日曜日)と29日(土曜日)には、サンニュースフォトス社の写真師山端啓之助(祥玉)に、御日常の撮影を許可され、その写真は、『LIFE』誌(1946年2月4日号)に「Sunday at Hirohito's」として掲載されることになった。そこでは、笑顔の写真、食事の写真などと一緒に、御家族との団欒の様子、普段の御暮らし、御部屋にリンカーンとダーウィンの胸像が飾られている様子などが、写真で初めて公開された。
昭和18年(1943年)から昭和20年(1945年)の『昭和天皇実録』を読むと、このように、時勢とともに昭和天皇の肖像をめぐる変化が読み取れて非常に興味深い。また、戦艦武蔵に行幸された時に、撮影された甲板での有名な集合写真なども、正確に記録が残されており、残された写真を見返す際の貴重な裏付け資料ともなっている。
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/74409/
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