パリのヴァンドーム広場に面した「ホテル・リッツ」は、19世紀末の創業以来、その豪華さと、機能的な設備の充実で注目を集め、王族、名士、著名人、文化人たちが出入りするホテルであった。冒頭の主要登場人物の紹介を読むだけで、歴史的な人物や出来事によって、その歴史が華やかに彩られ、また一方で翻弄されてきたことがよく分かる。世界の中心として華やかであった20世紀初頭のパリと歩みを合わせるかのように発展してきたホテル・リッツだが、その歴史の中でも、ナチスドイツに占領された時期は、元帥のヘルマン・ゲーリングが拠点を置き、将校の社交の場となる一方で、そこで働くホテルのスタッフがレジスタンス活動に従事するなど、虚々実々が濃密に行き交う非常に不思議な場となった。歴史が渦巻く中、数多くの登場人物たちが舞台に現れては消えていく一方で、ホテル・リッツだけは、歴史の目撃者として、ずっと存在し続けた。
ホテル・リッツの創業者の息子と飲み友達だったこともあり、戦前よりリッツをお気に入りにしていた作家のアーネスト・ヘミングウェイは、「パリ解放」時、従軍記者として真っ先にホテル・リッツに乗り込み、その貴重なワインセラーを開けた。本書では、ヘミングウェイがホテル・リッツにいち早く駆けつけた理由として、盟友ロバート・キャパとの私憤まじりの個人的な競争意識をあげている。パリ解放から遡ること3ヶ月ほど前、キャパが開いたパーティーで痛飲したヘミングウェイは、交通事故を起こし、怪我の影響で空軍の飛行機に乗ることができず、ノルマンディー上陸作戦は、後方からの見物記事となってしまった。一方で、キャパは上陸作戦の只中に飛び込み、決定的な写真で名声をあげていた。さらにその後、パリ解放が近づく中、ヘミングウェイは強引にキャパを誘い、彼の甘言を聞き入れず無計画に進軍していたところ、敵の反撃に合い、危うく命を落としそうになったりもした。本来のジャーナリストとしての競争意識に加え、そんなバツの悪い事件が重なったことにより、ヘミングウェイは、キャパよりも早いホテル・リッツへの乗り込みを意識するようになったのではないかと、著者は推測している。解放時、パリに先に入ったのはキャパだったが、混乱に巻き込まれ、実際にホテル・リッツに先に乗り込んだのは、ヘミングウェイとなった。パリ解放の高揚感もあり、寛大になったヘミングウェイは、あとから駆けつけたキャパに、ホテル最高の部屋の鍵を渡し、二人の間の緊張は一旦解けることとなった。
キャパ本人の自伝だけではなく、彼に関する評伝の中でも、パリ解放は、写真家キャパ物語の大きなハイライトとなっている。そこに至る道を、その数ヶ月前から盟友ヘミングウェイの私憤とともに振り返ると、通常の写真史とはまたちょっと違ったキャパの「パリ解放」の物語が見えてくる。そして、その物語の終着点となる舞台が、本書のテーマであるホテル・リッツである。写真の歴史を振り返ると、パリと写真の関係は非常に深いが、このホテル・リッツも、その一端を担っているといえるであろう。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488003852
2017年11月16日木曜日
2017年11月4日土曜日
岡本和明/辻堂真理『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』(新潮社、2017年)
超常現象研究家・中岡俊哉の評伝。中岡は、ベストセラーとなった『恐怖の心霊写真集』や『狐狗狸さんの秘密』など超常現象に関する著作を200冊以上上梓。また、出版だけではなく、テレビ番組の企画、出演を通じて、日本にオカルトブームをもたらし、社会現象を起こした。そんな彼の人生を、関係者の証言などとともに振り返った本書では、中岡本人の生涯だけではなく、それに関連した戦後の出版事情や、テレビ業界の裏側の歴史も垣間みえて非常に興味深い。
世界初の心霊写真集と評される『恐怖の心霊写真集』(二見書房、1974年)の出版の経緯も本書に詳しい。1960年代から70年代にかけて、新聞や雑誌で「不思議な写真」が頻繁に紹介され、また中岡自身も自著や、出演したTV番組で心霊写真を披露し、心霊科学の立場から鑑定してきた。その反応はよく、それを見聞きした一般人から、おびただしい数の鑑定依頼の写真が寄せられるようになってきたという。心霊・超常現象を盲信するわけではなく、実際に見て確かめ、様々な考察を積み重ねた上で科学的に究明することをモットーとした中岡にとって、これらの写真は、心霊の存在を証明するための貴重な資料となった。写真集は発売後、瞬く間にベストセラーとなったが、本書では、そのヒットの要因を、前例のない企画であったこと、心霊写真が特別な人ではなく一般の人が撮ったものであるというリアリティ、すべての心霊写真に中岡の鑑定書がついており、霊体の種類、写真に写る理由、フィルムに感光するメカニズムについて、中岡が考え抜き、研究者にもチェックしてもらった仮説が支持された点をあげている。翌年には、続編が出版され、一部カラー写真が採用されたこともあり、前作に続き多くの読者を得た。このシリーズは全7巻、トータルで150万部を売り上げたという。同シリーズにより、心霊写真なるものが一般に認知され大衆化したこともあり、人々が心霊写真に抱く不安や恐怖は、少なくなっていった。近年アナログのフィルムカメラがほぼ消滅し、写真のデジタル化による加工技術が進んで、心霊写真のようなものを最初から作り物ではないかと疑う時代にあって、同写真集は当時の人々が心霊写真に抱いていた気持ちを知るための貴重な歴史資料にもなっている。
中岡の生涯を振り返った本書を読むとよく分かるが、コックリさんでも心霊写真でも、中岡が巻き起こした社会現象は、大体似たような道を辿っている。局所的に不思議なオカルト現象が巻き起こっていて、それに恐れや不安、興味を感じている人の声が中岡に寄せられたり、また彼自身が発掘したりする。それを科学的に証明すべく、徹底的なリサーチを行い、そしてその結果を著作という形で発表したり、TV番組を企画・制作していく中で、全国的に広がり、興味を持っていた人が一斉に飛びつき、社会現象になる。そうすると今度は、同じメディアの中から、それを疑問視する声があがり、バッシングが巻き起こり、ブームが終息する。通常、ブームの終焉とともに、その存在を否定されて、消えていく人が多い中、中岡は、何度も社会現象の火元となり、そのブームの寵児として、メディアに取り上げられている。それは、決してブームを巻き起こすためだけに面白おかしく適当なことを伝えているのではなく、自分自身が直接目にして信じたものを、自分なりの仮説に基づいて、正直に解説し、取り上げてきたことにあるように思われる。
その正直さは、本書でも紹介されている中岡式の「心霊写真鑑定法」にもあらわれている。中岡は、鑑定にあたり、それらしく見える写真を排除し、残った1割について裏付け調査を行い、さらには科学者が開発したという「霊気感応系」なるもので判定合格したもののみを、「心霊写真」と認め、鑑定書を発行してきた。生涯3万点の写真を鑑定したが、確信を持って認定したものは500枚に満たないという厳しさと正直さが、中岡が一般の読者や視聴者から支持され、様々なブームの衰勢にも関わらず、常に起用されてきた理由なのかもしれない。
http://www.shinchosha.co.jp/book/324533/
世界初の心霊写真集と評される『恐怖の心霊写真集』(二見書房、1974年)の出版の経緯も本書に詳しい。1960年代から70年代にかけて、新聞や雑誌で「不思議な写真」が頻繁に紹介され、また中岡自身も自著や、出演したTV番組で心霊写真を披露し、心霊科学の立場から鑑定してきた。その反応はよく、それを見聞きした一般人から、おびただしい数の鑑定依頼の写真が寄せられるようになってきたという。心霊・超常現象を盲信するわけではなく、実際に見て確かめ、様々な考察を積み重ねた上で科学的に究明することをモットーとした中岡にとって、これらの写真は、心霊の存在を証明するための貴重な資料となった。写真集は発売後、瞬く間にベストセラーとなったが、本書では、そのヒットの要因を、前例のない企画であったこと、心霊写真が特別な人ではなく一般の人が撮ったものであるというリアリティ、すべての心霊写真に中岡の鑑定書がついており、霊体の種類、写真に写る理由、フィルムに感光するメカニズムについて、中岡が考え抜き、研究者にもチェックしてもらった仮説が支持された点をあげている。翌年には、続編が出版され、一部カラー写真が採用されたこともあり、前作に続き多くの読者を得た。このシリーズは全7巻、トータルで150万部を売り上げたという。同シリーズにより、心霊写真なるものが一般に認知され大衆化したこともあり、人々が心霊写真に抱く不安や恐怖は、少なくなっていった。近年アナログのフィルムカメラがほぼ消滅し、写真のデジタル化による加工技術が進んで、心霊写真のようなものを最初から作り物ではないかと疑う時代にあって、同写真集は当時の人々が心霊写真に抱いていた気持ちを知るための貴重な歴史資料にもなっている。
中岡の生涯を振り返った本書を読むとよく分かるが、コックリさんでも心霊写真でも、中岡が巻き起こした社会現象は、大体似たような道を辿っている。局所的に不思議なオカルト現象が巻き起こっていて、それに恐れや不安、興味を感じている人の声が中岡に寄せられたり、また彼自身が発掘したりする。それを科学的に証明すべく、徹底的なリサーチを行い、そしてその結果を著作という形で発表したり、TV番組を企画・制作していく中で、全国的に広がり、興味を持っていた人が一斉に飛びつき、社会現象になる。そうすると今度は、同じメディアの中から、それを疑問視する声があがり、バッシングが巻き起こり、ブームが終息する。通常、ブームの終焉とともに、その存在を否定されて、消えていく人が多い中、中岡は、何度も社会現象の火元となり、そのブームの寵児として、メディアに取り上げられている。それは、決してブームを巻き起こすためだけに面白おかしく適当なことを伝えているのではなく、自分自身が直接目にして信じたものを、自分なりの仮説に基づいて、正直に解説し、取り上げてきたことにあるように思われる。
その正直さは、本書でも紹介されている中岡式の「心霊写真鑑定法」にもあらわれている。中岡は、鑑定にあたり、それらしく見える写真を排除し、残った1割について裏付け調査を行い、さらには科学者が開発したという「霊気感応系」なるもので判定合格したもののみを、「心霊写真」と認め、鑑定書を発行してきた。生涯3万点の写真を鑑定したが、確信を持って認定したものは500枚に満たないという厳しさと正直さが、中岡が一般の読者や視聴者から支持され、様々なブームの衰勢にも関わらず、常に起用されてきた理由なのかもしれない。
http://www.shinchosha.co.jp/book/324533/
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