写真家の北井一夫が、写真家として活動し始めた20代から、約50年にわたる過去の記憶を振り返った自伝的エッセイ。写真家としての出発点になったという1964年11月の横須賀における米原子力潜水艦寄港反対運動の取材から、回想は始まる。ブレ、粗粒子、傷だらけのフィルムを使うことは、学生たちの社会への反抗と、写真の常識への反抗を結びつけ、それを写真に定着する実験だっと振り返る。デモの様子を写真集『抵抗』というタイトルで自費出版したもののまったく売れず、写真の大学も中退、それでも写真家として、発表のあてもなく労働者の写真を撮り続けるなど、ハングリーな若手時代の回想は面白い。当時の学生らしい秩序への抵抗の一方で、自分のやり方で、目見当でも何とかなる写真のことを少しずつ気に入っていたという。
政治組織と社会への抵抗に縛られるあまり、自分だけの自由を表現した写真が撮れなくなり、また非日常的な活動の足元にある日常的な営みへの意識などが高まり、代表作である「三里塚」の写真が生まれた。政治によって左右されない、生活する農民の日常の場と風景をおさえた写真は、同世代の若手写真家が都会を表現の場に選び、都市論を展開していたことに対する、写真家の静かな抵抗にも感じられる。実際にその場に入りながらも、農民の生活に寄りかかりすぎず、撮影者と被写体との間にしっかりと距離を置いて撮影することで、カメラを意識させつつも、逆にリアルで、自由な表情をドキュメントすることに成功した。
1970年代の地方を撮影した写真では、高度経済成長による過疎化と新しいものへの建て替えで、古き良き日本の農村を撮影できなかったことへの悔恨を語る。それがゆえに、失われた古き良き村の幻を追い求めて写真を撮り続けることになり、80年代に入ると、自分のドキュメンタリーと、新しく変化する現実の街とが乖離してしまったという。その後、身近にあった団地の生活と日常の風景を撮ることで、あらためて自然なドキュメンタリーを取り戻そうとすることになる。
日常の風景でありながら、子供が真ん中にぽつんといてどこか不安な写真は、孤独な子供時代の心の反映であるといった自己分析など、自分の写真表現を見返しながら、そこに映し出された時代や自分の気持ちといったようなものを、記憶の引き出しから取り出すようにして語っている。
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