1900年代初頭、ハワイやアメリカ本土に単身で移住した独身男性は、結婚したくても、法律上現地の白人女性とは結婚できず、また日本に帰って花嫁を連れて帰る時間も、お金もなかった。そんな中、1908年には、日本からの移民を自主制限する「日米紳士協定」により、家族以外の渡米はできなくなってしまった。そのような事情から生み出されたのが、「写真結婚」という方法で、移住者はアメリカにいながら、故郷の親戚などを通じ、写真の交換によるお見合いをして籍を入れ、正式に妻となったものを呼び寄せた。このようにしてやってきた花嫁は「写真花嫁(Picture Bride)」と呼ばれた。しかしこの「写真結婚」による「写真花嫁」も1920年(大正9年)には禁止され、約10年ほどで、その歴史は終わった。第二次世界大戦後、兵士と国際結婚して、アメリカに渡った「戦争花嫁」の先駆的存在でもある。
何とかして妻を迎え入れたいがために、何十年も前の写真を使ってお見合いをし、実際に会ってみたら、写真と全然違ったということも多かったらしく、本書でも幾つかそのようなエピソードが登場する。新天地に嫁いで幸せな生活を送る人もいれば、一方でその後の人生を狂わされた人もおり、写真によってもたらされる運命の不思議が、「写真花嫁」にはある。
本書は、この「写真花嫁」たちの特定の誰かを主人公にした物語ではなく、またその歴史を俯瞰的かつ客観的に語った歴史書でもない。「わたしたちは」という語り出しで、たくさんの「写真花嫁」たちの声が集められ、それがさざなみのように広がっている。断片的ながら具体性をもった個人の経験や記憶が集まり重なることで、この時代に「写真花嫁」として暮らした人々の姿が、重みをもって生き生きと現れてくる様には圧倒される。写真見合いによる渡米から結婚、慣れない土地での暮らし、出産と子育て、そして太平洋戦争による強制収容。日系移民として苦難の道を歩いた人々の忘れ去られてしまった声やつぶやきが、ひたひたと満ちてくるようである。
http://www.shinchosha.co.jp/book/590125/
2017年6月30日金曜日
2017年6月8日木曜日
レナ・ダナム(山崎まどか訳)『ありがちな女じゃない』(河出書房新社、2016年)
アメリカの人気ドラマシリーズ「GIRLS」の監督・脚本・主演をこなし、その作品と演技の高さで多くの賞を受賞した、1986年生まれのレナ・ダナム。ニューヨーク在住の彼女が、「GIRLS」の主人公ばりに飾らない態度で、日々の生活や自分の生き方、セクシャリティ、女性としてありのままに生きることについての苦難や悩み、率直な疑問などをストーレトに語ったエッセイ。
レナ・ダナムの父親は画家のキャロル・ダナム、そして母親は写真家のローリー・シモンズ。世界的に著名な芸術家を両親に持ったものの、自分の人生を自分なりに悩みながら生き抜いてきた1人の女性の生き様は、ドラマ「GIRLS」の主人公と重なる。本人が演じるドラマの主人公は、何者かに成りたいとあこがれつつも、親からは完全に自立できず、普通の女性ではいたくないと思いながらも、周りにいるちょっと変な仲間に翻弄されている。傷つきながらも、それでも世間が求める普通に抗って、自分の生を生きようとするドラマの主人公のベースは、演じた本人そのものであることが、本書を読むとよく分かる。
ドラマ「GIRLS」では、あけすけなセックスシーンやヌードシーンが多く、非難も多かったようだが、女性がそのように大胆に性を表現することについて、ダナムは、母親のローリー・シモンズを引き合いに出しながら語っている。シモンズも若い頃、セルフポートレートで自身のヌードを撮影していた。しかし、現在のスマホで気軽に撮るセルフィーと、撮影機材や現像も複雑で面倒だった当時のセルフヌードとは比較にならないとし、そこには恐怖心とともに、自分自身が本当は何者かを明らかにしたいという渇望への強い意思を感じるという。それを引き継ぐように、娘であるダナムも、他者からの非難に傷つき恐れながらも、自分と自分の性を知るために、ドラマや映画などを自ら演じ、制作している。
母がむきだしで、欠点をさらしてでも自分の体を記録してきたように、ダナムも、「見せられるような体じゃないのに」という人々の潜在意識に向き合い、美しくはなく、また上手でもないかもしれないが、こうあるべきであるという身体や性にあらがって制作をしてきた。そんな彼女の映画を見て感銘を受けた少年のエピソードは、身体のイメージについてダナムが大きな影響を与えられたことを示しており、彼女の映像がなぜ共感を呼ぶのかを如実に示している。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207193/
レナ・ダナムの父親は画家のキャロル・ダナム、そして母親は写真家のローリー・シモンズ。世界的に著名な芸術家を両親に持ったものの、自分の人生を自分なりに悩みながら生き抜いてきた1人の女性の生き様は、ドラマ「GIRLS」の主人公と重なる。本人が演じるドラマの主人公は、何者かに成りたいとあこがれつつも、親からは完全に自立できず、普通の女性ではいたくないと思いながらも、周りにいるちょっと変な仲間に翻弄されている。傷つきながらも、それでも世間が求める普通に抗って、自分の生を生きようとするドラマの主人公のベースは、演じた本人そのものであることが、本書を読むとよく分かる。
ドラマ「GIRLS」では、あけすけなセックスシーンやヌードシーンが多く、非難も多かったようだが、女性がそのように大胆に性を表現することについて、ダナムは、母親のローリー・シモンズを引き合いに出しながら語っている。シモンズも若い頃、セルフポートレートで自身のヌードを撮影していた。しかし、現在のスマホで気軽に撮るセルフィーと、撮影機材や現像も複雑で面倒だった当時のセルフヌードとは比較にならないとし、そこには恐怖心とともに、自分自身が本当は何者かを明らかにしたいという渇望への強い意思を感じるという。それを引き継ぐように、娘であるダナムも、他者からの非難に傷つき恐れながらも、自分と自分の性を知るために、ドラマや映画などを自ら演じ、制作している。
母がむきだしで、欠点をさらしてでも自分の体を記録してきたように、ダナムも、「見せられるような体じゃないのに」という人々の潜在意識に向き合い、美しくはなく、また上手でもないかもしれないが、こうあるべきであるという身体や性にあらがって制作をしてきた。そんな彼女の映画を見て感銘を受けた少年のエピソードは、身体のイメージについてダナムが大きな影響を与えられたことを示しており、彼女の映像がなぜ共感を呼ぶのかを如実に示している。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207193/
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